
長野に子供を性被害から守る県民運動はなかったし、性被害の意識も理解もなかったです。あったように、知事が言わないで欲しいし、記事に書かないで欲しいです。
長野に子供を性被害から守る県民運動はなかったし、性被害の意識も理解もなかったです。あったように、知事が言わないで欲しいし、記事に書かないで欲しいです。
良い取り組みしているつもりでしょうが、その至らない過去を美化して言っていることに、とても傷つくし、辛くなります。
メサイア・コンプレックスは、「可哀想な◯◯さんを、私(達)が、助けてあげなきゃ!」という、相手のことを、思いやらないで、自分達の「助けてあげて、満足したい」気持ちを、満たしたい、一方的なものです。
性被害経験というのは、話し手にも、聞き手にも、傷つく内容です。当事者が覚醒亢進、興奮状態になり、怒りが止まらないことも。治療には、安全の確立を十分にすることが必要です。
フラワーデモみえを立ち上げた際、性被害の無知偏見以上に、そのトラウマ、精神疾患についての無知偏見に出会う危険の方が、余程、自分は怖かったです。
お母さんも、どうしたら良いか、分からなかっただろうと思います。私自身も、分かりませんでした。
音楽も医療も、人の命を生かすのは、通じ合う人の心で、優しさや温かさなのだと思います。
「引きこもり」の原因を、社会や世間の人達は、考えていません。恐怖・脅威に対する、体の自然な反応です。
まるで伊藤詩織さんへのセカンド性暴力と同じです。女性を責める構造、昔から、全然変わってないです。
性暴力の追被害、二次被害で、自分も倒れたことがあります。そしいて、冷たい言葉を言われました。