site up 20210721水
*性被害について記されています。はじめに【主旨と投稿ルールbyゆき花】をご覧下さい。ご負担にならないよう、ご自身の責任でお読み下さい*
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主催者が受けているカウンセリングから、自身で考えて、これが大事というのを、フラワーデモみえでも、大事にしてきました。
それは、安全安心・信頼の関係性です。
カウンセリングでは、安全の確立と、f先生と共有していますが、フラワーデモみえや、ゆき花(主催者)自身には、「安全安心・信頼の関係性」として、共有するようにしています。

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2019年4月に、フラワーデモが立ち上がった時、大事なことと思いながら、自分は参加は出来ずにいました。
同年11月に、フラワーデモを三重で立ち上げた時も、その少し前に、近所に自死した生被害者がいたことを知り、自分もそのように追い詰められて、尊厳を奪われてしまうように、思いました。
その理由は、母の緊急入院の際に関わった、伊勢市の介護支援課やi日赤、m病院の、酷い社会福祉士や介護支援者達の経験からです。その以前の、20-21歳の頃の、長野のトラウマk病院やn日赤の経験も、原因ですが、
最近の身近な出来事としては、その人達に、逼迫し、追い詰められるように思われて、安全な人達に繋がりたくて、フラワーデモを立ち上げました。

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大事なことと思いながら、参加出来ずにいたのは、それまで、幾つかの自助グループや、また、そうでない場も含めて、性被害者の人達に、大変な思いをしてきた経験からです。
私自身も、大変な当事者の一人であったことを、振り返って思いますし、今も、性被害やトラウマ理解ない人達や、安全安心・信頼の関係性の難しい人達と接した時に、自己コントロールが難しい場合は、トラウマ症状に陥ってしまうことがあることを、自覚しています。
接する相手に注意する必要も、相手との接し方に注意する必要を、思いながら過ごしています。

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その一方で、専門支援や専門治療を求めても、得られず、二次被害・時には一次被害もある中で、大変な思いをしながら、
今、自分が安心納得ゆく、大阪のf先生の専門カウンセリング・専門の心理療法を(1年半は神戸のカウンセリングも、f先生にお願いして、併行して)、継続していることを、
誇りとして、或いは、自己肯定・自己尊重として、自分自身に認めながらいます。
トラウマケアとは、その一つ一つ、一日一日の積み重ねと思っています。

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その上で。
性暴力被害が原因で、激しい人、一方的な人、覚醒亢進の強い人達っています。
・マシンガントークの人、
・長時間止まらないで話す人、
・上から目線の人、仲間内意識と排他意識が極端にある人、
・怒っている人で、違う問題や違う他者に怒りを向けてくる人、
…のように、覚醒亢進の極端な人(興奮状態で高い人も、シャットダウン状態で低い人も)です。
トラウマケアや支援のなさが原因でしょうが、
精神科疾患や精神科医療の悪さから、それらに対する蔑視や回避もあるのだと思います。

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フェミニズムや他の社会問題に目を逸らしても、当人のその問題は、解決しません。
話せば話すほど、話すことによって、傷は深まりますし、覚醒亢進、興奮状態は高まります。
もっとも、そういう気付きがなく、ただ話したいだけの覚醒亢進な人達に、
安心・信頼の関係性が大事だと言っても、通じない・理解されないというのも、(FDでも、FD以外でも)ご一緒した、何人かの当事者の方達から思いました。

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スピーチは出来ないけれど、主催者のゆき花なら、話せる・聞いてもらえる…という気持ちのように、話す人達もいます。
性被害の抱えてきた重たさというのは、自身の経験からも理解出来ますが、ゆき花は、いち当事者であり、セラピスト(支援者、治療者)ではないので、
配慮なく、その辛い被害経験を、興奮状態で一方的に、話されたら、ゆき花自身も、辛くなりますし、傷付きます。

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社会運動やフラワーデモの関係なら良いと思うのか、スピーチは出来ないと言いながら、主催者個人(ゆき花)に、その激しい怒りをブチまける人もいました。
社会運動やフラワーデモの関係の人になら、覚醒亢進で、激しくブチまけても良い・許される・受け入れてもらえる…というものではありません。
スピーチであっても、配慮ない内容は、聞き手を傷付けてしまうものです。

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そのフォローやケアをするのは、主催者の役ではないありません。
主催者を含めた、お互いの尊重に配慮出来ない人は、まず、個人のケアを優先にすべきであり、
どのような関係でも、人間関係、生命維持の基本は、安全で、安心・信頼の関係性なのだと思います。

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・上から目線でお説教のように言ったり、
・頼んでないのに、頼まれたように恩着せがましく、言われたり、
・望んでないのに、教えてやるように言われたり…
トラウマある人の、状態なんだと思います。
そのように、支配的に言えること自体、防御・防衛ではなく、まだまだ戦う・戦闘モードで、トラウマ状態的には、コミュニケーションの力があるのだろうと…自分のトラウマ状態〈防御・防衛モードが強く、他者とのコミュニケーションが困難な状態〉からは、思います。

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コミュニケーション能力が、まだ、損なわれていないのは、ある意味、幸いなのでしょうが、
そういう人達は、私のような防御・防衛反応の状態が強い人〈フリーズ状態の強い人〉を、捕まえて、そのマイナス方向の協働調整役〈一方的に話しの聞き役にする、加害者の代わり・母親や養育者の代わり・治療者やケア役の代わりの受け入れ役にする〉に、利用されかねないので、関わらないことが大事です。
加害者も、ある意味、同じ線上にいるのだと思います。

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フラワーデモは、スピーチして、共有する場を作っていますが、それ以外の個人の関係での、被害の経験の共有は、していません。
そういう人は、話して楽になりたいのだと思います。
自分も話して楽になりたいと思いましたが、話せる程の人間関係に安心を持てていなかった・人が怖い状態であったので、
オンラインの自助グループの掲示板で、ただただ吐き出して書いていました。
でも、それは、吐き出して書くだけで、このように記事に出来るものではありませんでした。
何度も試みようと思いましたが、出来ませんでした。

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トラウマを負いながらも、まだ、戦う・戦闘モードにいて、コミュニケーション力があり、被害経験を、話せる人と言うのは、都合の良さそうな相手を、【捕獲したかのように、配慮なく】、話してきます。
でも、話して楽になるのは、いっときの・錯覚のようなものです。
というのは、専門的な治療やケアで対応されない限り、話すことで、却って、傷口は、広く深まるように、ケアを通しての経験から思うからです。
「被害経験を話すこと」は「麻薬のようなもの」のような、そんな中毒のような作用をしてしまうものと、言えるのではないかと思います。

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でも、その理解が出来ず、覚醒亢進に話してくる人に、安全安心・信頼の関係性を、何度、説明しても、その人は、理解出来ないし、理解しようとしないのだと思いました。
話して楽になるのは、一時のことです。
話すことは、しっかりとした専門家の下で、トラウマ解放・トラウマ処理の為に必要な最小限であることが、大事なことです。

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*メッセージは【主旨と投稿ルールbyゆき花】と同意とします*