b2.ゆき花の白い雪道

sn.b1.児童の性暴力は、子どもの可愛いイタズラではない②加害者mによる

site up 20210531月

*性被害について記されています。はじめに【主旨と投稿ルールbyゆき花】をご覧下さい。ご負担にならないよう、ご自身の責任でお読み下さい*

(再)最近見たTwitterで、娘さんが、知らない男児二人に、コンビニでいきなり、性暴力行為を受けたことが記されていて、胸が痛みました。

そのrpやrtに、子どもの可愛いイタズラと、済まそうとする親がいることが記されていて、自分の被害を思い出されて、書いておこうと思いました。

男児からの被害は、性被害2、性被害3、性被害4に当たるものです。

*性被害1…4歳、誘拐連れ去り、地域の加害者2人による、単数回。

*性被害2…4歳、近所の老婆・父子(同年の男児)の3人による、単数回。

*性被害3…4歳、性被害2の男児による、複数回。

*性被害4…6-12歳、弟の同級生達による、集団の性的な暴言・罵声、長期被害。

ここでは、性被害2、3について、書きます。

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加害者m.mについて、性暴力はもちろん、許さないです。

性被害2は、その老婆(祖母)が、性被害を受けたことによる性化行動なのですが、けれども、子どもそのもののその行動を、本気で怒り、「性暴力してやれ」的なことを、父子に命じて、主にはその父m.hが、性暴力したのを、子のm.mが、見ていた…というものなのですが、その時、そのm.mは、私を道具に使って良いと、興奮したような様子を覚えています。

その後、数回、私に「お母さんごっこしよう」と、おままごとするかのように誘い、性暴力しました。

m.mにとって、お母さん=お父さんが性的支配する対象なのです。

今だからこそ言えますが、恐ろしい夫婦関係です。

30歳近くの頃、その父m.hと、その母m.kを見かけましたが、m.hは、その妻m.kを「ババア」と当たり前のように、呼んでいました。

そのm.kが、毒吐きのような、矛先を向けたのが、m.mと同年で女児の私でした。

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私の母・花子は、私をm.mと遊ばせたがりませんでした。温泉場からの流れ者の人達で、人柄が悪いことが理由です。

もともと、その家に住んでいたのではなく、私の家の親戚宅であったのを、跡取りがいないか何かの事情なのか、温泉場から、お堂の軒下に住んでたような人達が、住むことになりました。

日々の言動など、人柄が悪いこともあり、母も祖母も、嫌っていました。

m.kは、泣くように、幼い私に、息子m.mと遊ぶように言いました。憐れんでくれと言う様に、m.mと同年の私にいうのです。

まるで女児は、男児より、劣った価値の存在のようにです。幼い私は泣くように言われたので、嫌だと言えず、

まるで罪悪感を負わせられるように、遊びにゆきましたが、性暴力をされました。

その治療は、漸く、最近、f先生としました。それも、少しずつです。

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こんなこともありました。

幼い私を、道路上に横にならせたm.mは、オモチャの車に乗って、「ブッブー」と、私を轢き殺そうとしました。

花子が気付いて、私を抱きかかえて、助けました。そのことは、姉も覚えていて、たまに、話してくれました。

私も、何となく、閃光の記憶の中に覚えています。閃光の記憶…というフラッシュバックの中にあるような記憶なので、実際は、相当、怖かった、ショックだったのだろうと、こうして書きながら思います。

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性暴力被害を被害と、まだ認められなかった20代半ば頃、気持ちの慰めになるかと、m.mの事故死した場所のお地蔵さんに、花を供えてみたりしました。

その後、間もなく、性暴力被害に気付いてからも、そんなことをしていました。

お地蔵さんだったから、m.m一人ではないものだったから、出来た事かもしれません。

ある日、山の集団墓地のお墓参りで、皆のお墓に、お花やお団子を供えていました。m.mのお墓にもしてやりました。…が、その直後、耐えきれず、花も団子も、墓石に投げ付け、近くの雑草を引き抜いて、何度も何度も、m.mの墓石を叩き付けました。

そして、うつ伏せて、大泣きしました。

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直ぐに帰れず、車の中で休んでいました。隣の席で、お母さんが

「ゆき花ちゃん、無理しないで良いんだよ(加害者のm.mに、花も団子も上げなくていいんだよ)」

と言いました。亡くなった人を弔うことを、尊んで言われているような社会の風潮の中で、怒られるかと思ったけど、そうではなく、お母さんは、そう言いました。

私のトラウマが、今のf先生が救ってくれるように、私が助けを求めた先の、n日赤の精神科医tが、f先生のような専門の心理療法で、救ってくれていたら…k精神病院の非人道処遇がなかったら…

私の傷付きは、こんなに深まることはありませんでした。

でも、お母さんが、そう言ってくれたのは、良かったです。私も努力したし、お母さんも、努力してきたことです。

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20代後半、性暴力被害が気付いた頃、m.kと、家で話したことがあります。m.mの性暴力について、話しました。

その時、言ったことが

「だって、自分の息子だもん、可愛いもん」

で、謝罪ではありませんでした。

私は、その言葉に傷付き、怒って追い出しました。怒って当然です。可愛いとか、被害者に言う言葉ではないです。そんな同情を、母親という女の立場にいるから、言ってもらえるとでも思ったのか、そんなことで済むとでも思うのか、どこまで、年下の幼い女児・女性を、見下げた態度に出るのか…言葉にしつくせませんが、そんな思いです。

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後で、施設の介護職員として働いていたm.kに、たまたま、母と通っていた、戸隠山のお詣りの帰り道の食堂でゆき合った時、

「あんたは、私に、息子の代わりに、息子の性暴力を謝ることしか、言えない。」

と、その皆の前で言ってやりました。m.kは謝りました。

お母さんも、一緒にいて、m.kを呼んできたり、私を支えるように、傍にいてくれたり、何か、言ってくれたと思います。

私は、やれるだけのことをやれたのだと思います。

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その加害者父のm.hの被害も酷いのですが、より酷い侵襲とトラウマは、m.mです。m.hも許さないし・忘れないし、そのケアも必要ですが、強烈な閃光の記憶、幽体離脱・乖離を起こした、m.mについて、そこまで向かい合えたことは、良かったのだと思います。

私を轢き殺そうとしたから、自分が轢き殺されたのだと、そんなことも思いますが、偶然とはいえ、不思議なことのようにも思います。

でも、今はただ、トラウマが十分にケアされたいだけです。

*写真は志摩の大慈寺です(ゆき花撮影)。

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