b1.ゆき花の雪の日

sn.b1.児童の性暴力は、子どもの可愛いイタズラではない①弟の同級生達による

site up 20210530日

*性被害について記されています。はじめに【主旨と投稿ルールbyゆき花】をご覧下さい。ご負担にならないよう、ご自身の責任でお読み下さい*

最近見たTwitterで、娘さんが、知らない男児二人に、コンビニでいきなり、性暴力行為を受けたことが記されていて、胸が痛みました。

そのrpやrtに、子どもの可愛いイタズラと、済まそうとする親がいることが記されていて、自分の被害を思い出されて、書いておこうと思いました。

男児からの被害は、性被害2、性被害3、性被害4に当たるものです。

*性被害1…4歳、誘拐連れ去り、地域の加害者2人による、単数回。

*性被害2…4歳、近所の老婆・父子(同年の男児)の3人による、単数回。

*性被害3…4歳、性被害2の男児による、複数回。

*性被害4…6-12歳、弟の同級生達による、集団の性的な暴言・罵声、長期被害。

ここでは、性被害4について、書きます。*被害の繰り返しは、その後も続きます。

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私の頃は、保育園の親の送り迎えが、ありませんでした。今、思うと、危険極まりないことですが、それが当時でした。下の保育園などでは、あったのかどうか、山の方までは、義務化はされていませんでした。

*保育園の送り迎えがなかったことは、母はよく謝りまり、父も悔しがりますが、一番は、悪いのは加害者達です。保育士らの対応不十分でもありますが、それでも・それ以上に悪いのは、加害者達です。そのことを、間違えてはいけません。

だから、私のような、性暴力被害が生じたのです。

園児ではありませんが、小学生の女の子が、帰り道、殺されてしまった事件もありました。私が小学4年生の頃、その子は2年生くらいだったと思います。触れて書かれてはいませんでしたが、性暴力目的の、通り魔事件だったのではないかと思います。「通り魔」という言葉も、軽々しく思います。

私が小学1-3年生の間、弟の送り迎えをさせられました。

その頃は、下の稲里町に引っ越してきていて、弟の保育園では送り迎えが必要でした。

でも、大人の送り迎えという条件がなかった為、酷い母・父だったと、今もずっと許さない気持ちでいますが、

幼い私にその役を担わせました。

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小学6年生の姉は、「嫌だ」と言うことが出来ましたが、私は幼過ぎて、そう言うことが出来ませんでした。

ただ、親の言うなりでした。

最初の頃は、祖母が弟の送り迎えをしていましたが、それは僅かな期間で、祖父が入院した為、その看病の関係で、私にその役を、祖父母・父母揃って、負わせました。

そのことは、ずっと、許せません。 《十分な治療を経て、この苦しみから、早く解放されたいです》

でも、トラウマが酷かった為、許せない、酷いと言えるようになったのも、40代半ばの、高野山の頃だったので、ずいぶん、後になってからでした。

もっと、苦しいことを苦しい、嫌なことは嫌だ、悲しいことは悲しいと、言えたら良かったのですが、私は、恐ろし過ぎるトラウマを負っていたこともあったせいか、幼い頃も、大人になってからも、ずっと、言えないまま、苦しみや傷付きを抱えたままでいました。

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弟が、弟の同級生達の性的暴言・罵声を「子どもの可愛いイタズラだ」と、言うかどうか、分かりませんが、似たようなことを言われたことはあります。「子どもだったから」と、そういうことです。「可愛いイタズラ」とまでは言わなかったかもしれませんが、「子どもだったから」も、集団での性的暴言・罵声を、毎日のように、皆の見ている前で、浴びせられたことは、許せることではありません。

絶対に、許さないし、忘れないです。 《十分な治療を経て、この苦しみから、早く解放されたいです》

保育園に送り迎えで連れて行く度、迎えに行く度、弟の同級生達は、卑猥な言葉を、集団に私に言いました。

t.mという、男児が中心になって、一斉に、大きな声で、卑猥で、恥ずかしくなるような、性的身体部分を私の名を付けて、言うのです。

今も忘れません。《十分な治療を経て、この苦しみから、早く解放されたいです》

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大人も止めてくれる訳でもありません。酷い保育士、酷い保護者達だったと、こうして書きながら、やっと言うことが出来た思いです。

弟の同級生の女児達も、蔑んだ、上から目線で、見ていました。虐められている私に対して、優越感を持っていたのでしょう。

私は、4歳の性暴力で、その頃も、萎縮・フリーズしながら、生きていたので、他とは違った、おかしな子に見えたのでしょう。だから、余計に、見下げた態度になったのでしょう。

今、思い出しても、苦しみに満ちていたと思います。

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送り迎えをさせたのは、祖父母・父母・姉なので、弟が悪い訳ではないのですが、弟が、憎らしくて、よく仕返しのように虐めました。

弟がいなければ、こんな集団性暴力を受けることもありませんでした。

もっと、弟を見る度に、被害2、3の加害男児m.mや弟の同級生達を思い出すのです。

だから、弟はもっと嫌いでした。《本当はこんなこと、弟に、言いたくないのです。でも幼い私はそうでした》

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もう少し大きくなって、10代後半の頃、別の同級生が、私を馬鹿にしたからと、私を庇おうとして、ケンカになったこともあったようです。二人くらいいたと聞いています。

でも、10代後半のその頃は、度重なる性暴力被害の上に、加害者達の死も重なって、自分が殺したのだという、死の複雑性悲嘆も重なって、

弟がそういうふうに、庇ってくれようとしたことにも、ただ、フリーズしているだけで、ありがとうとも、嬉しいとも、言えませんでした。

それで、却って、弟を傷付けるようなことも言ったし、弟を傷付けることも、沢山したのだと思っています。

それは、私ではなく、性暴力の加害者達が、悪いことなのですが、加害者達が私にこういう、家族関係や人間関係に及ぶ苦しみまで、負わせたことが、性暴力被害に加える地獄なのです。

この複雑な関係性を、どう癒して回復してゆけるのか…思うだけでも、固まってフリーズするようなのですが、f先生と一緒なので、また、今の研究もあるので・フラワーデモのお繋がりもあるので、癒しと回復を得られるように、向かい合ってゆきたいと思います。

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幼い私は、苦しい中、一生懸命、勉強していました。

私が送り迎えをしなければならないくらい、家はお金がなく苦しいのだから、せめて、学校に行かせてもらえていることに、感謝して、頑張って勉強しよう…という気持ちで、一生懸命でした。

「学校に行かせてもらえていることに」

というのは、祖母・父母に言われた、恩着せのようなことです。

「お金がないから、お父さん・お母さんは働かないと生きてゆけないし、ゆき花ちゃんが、弟の送り迎えをしなければならない」

と言われたことを、トラウマ負っている逼迫感もあって、余計に、そう思って、自分を追い詰めながらやっていました。

でも、弟や姉は、あまり勉強しなくても、遊びながら、自由に子供らしく生きていました。

食べることも、眠ることも、苦しくなく、姉と弟はされていました。私は、一瞬一秒も、地獄だったのに…姉と弟は、そういう苦しみがなく、楽そうでした。私だけが、苦しんでいました。

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弟と弟の同級生が、小学生に上がっても、弟の同級生達の集団性暴言のイジメは続きました。

一人は特別学級だったので、ある時、私は

「馬鹿のくせに」

と言い返しました。それ以来、皆が、白い目で、その子を見るようになり、私は解放されましたが、

その子の姉が、私と同じクラスで、皆の前で泣きながら、

「弟のt.mが、「馬鹿と言われて悲しい」」と言いました。

私がそのt.mを中心に、性暴言で集団のリーダーになって、虐めていたことには、触れずに、です。

私は、何を言われているのか分かりませんでした。ただ、4歳の性暴力被害の上塗りを繰り返されながらいた、その傷付きの上塗りをされながら、その日もそこにいました。

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後で、20歳になる前に、そのt.mは、バイクの事故死で亡くなりました。

性被害2、3も、その以前の17歳の頃、バイクの事故死で亡くなりました。

亡くなって、ほっとしましたが、同時に死のトラウマに苦しめられました。

今でこそ言えますが、加害者達は、生きても死んでも、被害者を苦しめました。

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今、働くことの恐怖や萎縮は、弟の送り迎えをきっかけに始まったと言えます。

だから、弟が悪い訳ではなく、それをさせた祖父母、父母が悪いのですが、

弟を見ると思いだされてしまい、悔しくて、仕方がないのです。

私も、普通に、恐怖や脅威、その萎縮やフリーズなく、働きたかったです。

そういった被害の上塗りで、k精神病院でも、非人道な暴力・性暴力処遇で、最悪のトラウマを負い、40代後半の今、遠く離れた地で、大阪の先生にやっと繋がりながら、トラウマの恐怖を解放し、回復をちょっとずつ、得られていますが、

それまでの30年、40年という長い期間は、助けを求めても、暴力・セカンド性暴力で返されるような長野や、周囲の人達で、ずっと苦しんで、危険に晒されながら、非常に脆弱なまま生きてきたことを思います。

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こうして振り返って書く作業は、何かTwitterのきっかけがあったから書けますが、私には、必要で大事なのかもしれません。

それもf先生の治療があってこそ、可能なのだと思います。

弟の同級生達の集団の性暴言・罵声は、子どもの可愛いイタズラではなく、性暴力です。

その責任は、保護者や保育士など、その周囲の大人にあるのかもしれませんが、

私は、弟の同級生達の集団の性暴言・罵声を、許さないし、忘れません。

十分に、トラウマ回復をして、解放されたい…

そして、生きる力、働く力を回復して、加害者達からも、完全に解放されたい…

そんな思いでいます。

*写真は志摩の大慈寺です(ゆき花撮影)。

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*メッセージは【主旨と投稿ルールbyゆき花】に同意とします*