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sn.a1.修論「はじめに」:古事記神話の天石屋戸開き「咲(わらひ)」

site up 20210130土

修論題目:古事記神話の研究―天石屋戸開き「咲(わらひ)」を中心に―

修論の「はじめに」「おわりに」を、サイトアップします。改行などは、サイト用に、整えました。

「天石屋戸開き」は「天の岩戸開き」のことで、古事記中の表記です。

また「咲」は、「笑」の古語で、古くは「咲」が「笑」の表記に用いられていました。論文に扱った、「瑜伽(=ヨガ)」を説く、高野山の仏経典もそのように記されています。

Spring_OneVoiceの、Springスマイルのポーズは、花をお顔に、両の手を花に、見立てたもので、高野山で舞踊の先生にも、その例でよく舞踊の指導をされました。知ってか、偶然か、ですが、

「花咲く」の「咲」が「笑」というのは、素敵だなと、思います。

20210131日①sn.a1.修論はじめに

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はじめに

「時代を先取りするのは心理学者ではなく、文学者(長田注:文学作家)です。(略)学問が文学のお尻を追いかけてヨタヨタしているというのは、これは昔からよくある図です」

 教育心理学者のアリス・ミラーの言葉である。A.ミラーは、『魂の殺人―親は子どもに何をしたか―』で、残忍なホロコーストを生んだナチス・ドイツの背景に、親から子への虐待・性虐待があること、それによる世代間・社会間の暴力の連鎖があることを、分析して記す。

そして、心理学、精神医学、医学を学ぶ若い世代が、「感情」を「最小限に抑え込んだ」「犠牲」の結果、「自分の患者や依頼人をも犠牲に供する」ことを当然の結果として述べる。

精神科医であり、ユング心理学派の老松克博も、医学で「切り捨てられてきた」ものが「こころ」であると記す。

20210131日①sn.a1.修論はじめに

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 人と対面し、人を診る心理学・医学でさえも、人間の「こころ」を切り離し、「病」だけに視線を向ける。では、A.ミラーの言うように文学者は、本当に、「こころ」を文学作品に追究しているだろうか。

文学の分野もまた「こころ」を切り離して、用字・用例・音訓、或いは、民俗学、民族学、神話学、考古学、歴史学、その既成事実の「形」を追究するに留まってはいないか。本論では、その「こころ」を、古事記神話を通して考えたい。


 日本の土着の信仰・神道の「神話」で、擬人化され描写された神々の心理描写から、私達人間に共通する心理・感情・情動を、記紀の本文に添って考えてゆきたい。その中には、日本・東洋古来の特性も見られよう。

20210131日①sn.a1.修論はじめに

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 文学者の小島憲之、心理学者の河合隼雄は、記紀が大戦中に軍部に利用された「暗い歴史」に触れながら「虚心に「読む」べき書(小島)」「ひたすらにそれを読むということ(河合)」と記すのを、記紀を学ぶ上での、訓戒としたい。

「何らかの知識体系に現象を当てはめて解釈するのではなく」と河合が記すように、ユングの心理分析に当てはめるものでもなく、それは解釈の「手がかり」とするものである。

また、「わが国の古典、『古事記』は、如何なる時代に於いても、決して「神国日本」の語と結び付けられるべきものではない」と小島が記すように、生育期の愛着形成不全の不安定さ故の、心のすがりに利用し、「神国日本」や暴力軍事に、結び付けるものであってはならない。

大戦の多くの命の犠牲が、「神国日本」の思想支配の下にあったことを、記紀を学ぶ私達は、忘れてはいけない。

20210131日①sn.a1.修論はじめに

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 最高神である天照大御神を描く、天石屋戸神話には、天石屋戸籠りまでの傷付きのあり様、天石屋戸籠りの内省、天石屋戸開きの「咲(わらひ)」と「繋がり」といった、個と社会・集団の回復のストーリーが描かれている。

神々に描写されている心理は、私達人間の心理と同じである。最高神でありながら、私達に共通する感情・心情を持っており、神々の「咲(わらひ)」は、私達に安らぎと明るさを示してくれている。

安全・信頼の関係性、その人間と神々の繋がりを、古事記神話の天石屋戸開きの「咲(わらひ)」を中心に追究したい。

20210131日①sn.a1.修論はじめに

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