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sn.e3.性暴力理解は、人道者の肩書では見れない:ダライ・ラマの高野山での出来事より

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〉「女性は魅力的でなければ」 ダライ・ラマが失言で謝罪

〉2019.07.03

*リンク先が期限切れのこともあります。


〉(CNN) チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(83)が2日、後継者の人選を巡り、女性が後継者になる場合は「もっと魅力的でなければならない」と述べた冗談の発言について謝罪した。
〉問題発言は先月、英BBCとのインタビューで飛び出した。この中でダライ・ラマは、「もし女性がダライ・ラマになる場合、(その女性は)もっと魅力的でなければならない」と言って笑った。

2015年にもダライ・ラマは同様の発言をしていたと記されます。

〉今回の発言について、ダライ・ラマ法王庁は2日に発表した声明の中で、「猊下(げいか)に侮辱する意図は一切なかった。猊下は自らの発言によって人を傷つけたことを大変申し訳なく思っており、心からの謝罪を表明している」とした。

従う人達は、権力者に絶対服従していますから、最もなことを言います。でも、その人達も含めての、当然の男尊女卑・女性蔑視であると、高野山を振り返っても思います。

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〉さらに、ダライ・ラマ自身は「人は外見に基づく先入観にとらわれるのではなく、もっと深い人間性において互いに結び付く必要がある」と一貫して強調していると指摘。非公式な発言を巡っては、一方の文化でユーモアと受け止められても、別の文化に翻訳される際にそのユーモアが失われることがあると釈明している。

その文化にある性差別、男尊女卑は、文化が違うことを理由に、笑えるものではありません。同じ女性として、人間としても、文化の枠組みで、許され済まされる発言ではありません。


〉ダライ・ラマは女性を物としてとらえることに反対し、両性の平等を支持すると強調。亡命中のチベットの尼僧は、かつて男性にしか授与されなかった「ゲシェー」の学位を授与されているとも説明した。

綺麗事、建前事は一応、言うのだと思います。だからこそと言うか、根にある男尊女卑観、女性蔑視観は、よく見えるものです。

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ダライ・ラマは高野山でそう思いました。

宗教には偉人PR×その人間関係×お金回りがあるものです。

酷い男尊女卑観で、小児性暴力の理解や意識のなさでした。

高野山も男尊女卑や上下関係強いけど、チベットもっと酷いし、尼僧の件も建前として読んでいます。

性暴力の理解者か、女性の人権意識あるかは、決して肩書きでは見れません。


この記事の書き方を見ても、そう思います。

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私は、空海の教えは大事にしています。写経も仏典も、自分なりに十分に学んできたと思いますし、今は、性暴力の活動の流れを落ち着かせるのに、忙しくしていますが、また引き続き、出来る仏典解釈の作業は続けてゆきます。

性暴力の何の救いもない中で、自分を支えてくれていたもの、人との繋がりを唯一作ってくれていたのが、お詣りと仏典神話の学びでした。

でも宗教にある男尊女卑や性差別には、安全安心の確保の為に迎合しながらも、心のどこかで必ず、一線は画すようにしていました。

ダライ・ラマには、高野山での講演の際、小児性暴力とタントラの質問に、600人の聴衆の前で指差されて、勘違いに怒って言われ、酷く侮辱されました。

聖職者などと言われても、所詮、高野山の酷く遅れた男性社会の繋がりの縁にあっては、性暴力の理解も女性や子供の人権意識も、この程度かと痛く理解しました。

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高野山の僧侶の先生に通訳が悪かったと言われたけど、違います。

大勢の人達を前に、指さして、非難するような仕打ちを、思いやるある人はしません。

仁徳者であるならば、小児性暴力や児童性虐待についての、現実的な問題にも考慮して、例え、通訳が悪かったとしても、考えられるはずです。タントラについての、その誤解や危険性を、小児性暴力や児童性虐待の視点から、考えられない仁徳者、それに係わる宗教者など、そもそもその教えに触れるのも、危ないです。

確かに通訳の質は、人間的にも酷かったです。でも、ダライ・ラマや高野山にある、男尊女卑や男性優位・女性蔑視が、著しく酷いのは、不幸な事実です。

ノーベル平和賞の受賞も、お金と権力の操作の結果に思えます。そもそもが、ノーベルのダイナマイトの儲け金です。

日本女子大の単位交換制度を利用し、学習院大学で、男性学を学んだことを言うと「帝王学だね」と、ギョッとするような時代遅れなことを言う、高野山大学の先生もいました。

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講演後、会場の外で、ダライ・ラマの本は泣きながら破りました。侮辱に満ちた高野山での出来事でした。ダライ・ラマを崇拝する人達が、白々しいと、心底思います。

性暴力理解する器量などまるでなく、貪欲に我に満ちている人達だと、ある意味、覚めたような目で見れるようになりました。弘法大師や釈尊の教えは、ここにあるかのようにすら思いますし、間違ってはいないと思います。

その後、高野山大学の次期学長予定だった僧侶の息子(成人)が、小学生の子を殺害するなど、不幸な事件も続きました。

その以前にも、殺害事件、薬物事件があり、私が高野山に来てからも、2年毎くらいに、複数の刺傷事件が続いてありました。

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こんな酷い目にあっても、私は、卒論最優秀賞で、表彰されて卒業しました。

性暴力被害の救いも、仏典から私が見出しました。

誰かが教えてくれたものとは思いません。高野山にはそこまで感動的な先生はいなくて、もっとシビアな世界でした。それが空海の教えの温かさや真実を、知れるものでもありましたが、知ることが出来たのは、自分の力で、性暴力被害者にとっては、奇跡ともいえるもの《自尊》と言えます。

肩書は、性暴力理解者を意味しません。

高僧、政治家、医療支援者、フェミニストでさえも…です。

性暴力理解者かどうかは、人を見なければ分からないし、生命維持の基本に、安全安心が優先されるのだと、トラウマ治療を通して思います。


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高野山の仏教や宗教の、男尊女卑や上下関係やフェミ偏見は酷いけど、空海の教えには、今のトラウマ治療で、西洋医学の注目するものも多いです。

でも、それを性暴力の理解ないダライ・ラマが知ってるとは思えません。人の傷付きや尊厳を理解出来ない人に、性暴力の理解はあり得ません。

ソマティック・エクスペリエンスのピーター・リヴァインの本は、私も参考にするところが多いですが、リヴァインさんが、ダライ・ラマを盲信してるような記述からは、SEの提唱者と言っても、リヴァインさんのトラウマ理解や人を見る力を、過信に見てはいけないと自戒しています。

でも、人間は完璧ではありませんし、それで良いと思っています。肩書では見れないのです。

(約2600字:8分40秒)

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*イラストは、宗教者の性暴力の問題に取り組む、鈴木ハルミさんから頂きました。

*メッセージは【主旨と投稿ルールbyゆき花】に同意とします*