b1.ゆき花の雪の日

sn.b1.4歳、最初の連れ去り性暴力被害①気付けたのは奇跡だった

site up 20200818火

4歳の最初の性暴力被害をまとめておこうと思います。

私は長野の山の保育園に4歳の年中から通いました。保育園に上がる前の3月頃、母に連れられて母の職場(小学校の給食室)の近くの農協に行きました。母は祖父の使いか何かで行ったのだと思います。母の友人らしき女性に、母が作ったミカン缶が入った牛乳寒を届けていました。私はそれを食べた記憶があります。

農協のカウンターの奥の作業場との出入り口のようなところに、加害者(40歳くらいの男性)2人がいました。3月ではなく、もしかしたら、被害にあった初夏の頃だったかもしれません。後から、その時の2人だろうと、母の話しと一緒に記憶が繋がりました。

被害にあったのは、初夏の頃だったと思います。5-7月の頃です。まだ衣替えの前の紺の園児服を着ていたようにも、衣替えをした水色の園児服を着ていたようにも思います。

3人で帰っていました。今、思うと、本当に恐ろしいのですが、大人の付き添いはありませんでした。

「知らない人について行ったらいけないよ」

というのは、保育園でも祖母や母からも教わっていました。

でも、そう教わっても、就学前の子供というのは、大人に簡単に騙されてしまいます。加害者2人の大人達は、そのような幼い子供であることを利用して、私に嘘をついた騙して車に乗せました。

「送って行ってあげる」

と加害者は言いました。

「「知らない人の車には乗ってはいけない」と言われている」

と私は答えました。

「お母さんの知り合いだから、知らない人じゃないでしょう。お母さんは学校給食で働いていて、自分達はその近くの農協で働いてるから知り合いだよ。だから知らない人じゃないよね」

そう騙して言いました。

白い車でした。

車の後ろの座席に乗せられた時、もう一人の男がいたことに驚いたように記憶しています。

私だけ車に乗せられたので

「MちゃんとNちゃんは?」

と聞きました。

「あの二人はいいの」

と、加害者の一人は言いました。そして、家の方向ではなく、保育園の方向に車は戻って走りました。

「保育園でどんなことしてるの?」

と聞かれました。その頃、日本神話の紙芝居を聞いていました。岩戸開きの話しを聞いていたように思い、そう答えたと思います。

二人の加害者達が急に卑猥な恐ろしい、とても嫌な雰囲気に変わりました。

ウズメの踊りの話しから、そのように言っていたのだと思います。

天照皇大神(天照大御神)を、男性のように言っていて、女性は男性の性の慰み者というように言い、性暴力に及んでいった記憶があります。

天照皇大神は、女性の太陽神で、家でも保育園でも、そのように聞いていましたが、加害者達は、男性であるように言っていました。

その後の被害で、戦争中は、天皇が神として崇められていたとか、天皇は天照大御神で太陽神だとか、天皇は男しかなれないから女より男が偉いんだとか、そういうことを、性暴力して良い理由に言う加害者達もいたのですが、この連れ去りの加害者達も、同じようなことを言っていたと記憶しています。

保育園の向こうの林の中に車を止めて、後部席の加害者に抱き押さえられて、後ろからの性暴力、運転席の加害者は後ろの席に移動して、前からの性暴力でした。

車に乗せられた時と、車が止まった時と、車から落とされた時の記憶が、閃光のような白い光の中に、バッバッと蘇りました。名の如くフラッシュバックです。

4-5歳の頃にもあったのか、覚えていません。なかったとは言い切れません。

小学校1年の頃から、閃光の記憶が強くなり、27歳の気付く頃まで、強烈に繰り返されていました。言葉に出来ない衝撃を抱えながら日常にいました。

❄️❄️❄️

hanaさんは、幼い頃の被害経験を記憶していますか?

幼い頃の性暴力被害に気付くのは、奇跡的なことだと思います。

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