c3.ゆき花とセラピーいろいろ

sn.c3.リソース確認100個⑥テーマ「瑜伽」追記

site up 20191121木

最後はマインドフルネス、瑜伽、ヨガの為のリソースでした。
ここはポイントなんだと思います。

愛着というのも、安心安全の基盤の確立の中にあるもので、繋がりという意味でも、そこには瑜伽、ヨガがあります。一人では難しい、親子の愛着の不十分だったり(虐待、毒親など)、あまりにトラウマ的要素のあるモノは、親や身近だけでは足りないから、助けてくれる社会的存在が必要だけど、それが十分でないと思います。


協働調整も、瑜伽、ヨガで、親や養育者や周囲との繋がり。
自己調整も、瑜伽、ヨガだ。これは自分の内との繋がり。


*「瑜伽」とは「繋がり、馬具を繋ぐ」がサンスクリット語の原義で、ポーズやストレッチ的なヨガは、瑜伽の一つで、後から出来たものと学んでいます。

例えば、フラワーデモも協働調整をより求めて、という人間の自然で、(愛着や神経系から見た)生理的・身体的な表れのようにと思います。これ以上、耐えられないから、行動に出る、というのは、気持ちや精神というより、体を伴ってのモノという感じです。

否定し、抑え込む方も、同じ。被害者を、そういう抑え込む対象にしておかなければ、心身が、落ち着かないし、落ち着けないのだと思います。そこに「司法のプロだから」「親だから」「先生だから」「男がエライから」「年上だから」「立場が上だから」「伝統・慣習だから」など、様々な理由を付けながら。無神経、無教養、未熟、不安、硬直、柔軟性のなさ、そういったものの現れのようにも思います。

協働調整が出来なければ、人や哺乳動物は生きてゆけないか、生きてゆくのが非常に困難で辛くなります。これはポリヴェーガル理論の本にトラウマ負った人の状態として説明されているし、ダーウィンの進化論の「適者生存」などで説明されるようです。


犠牲者を生みながら、誰かを・被害者を犠牲にしながら、そうでない者同士が満足しあったり、身分制度で人間関係を保とうとすることは、安全安心や愛を感じられずにいる人達のすることです。それは日常でもあるし、癒されていないサバイバー同士の中にもあります。

標的にされ易いのは、自分の為の協働調整が出来ない人です。自分がそうです。性暴力被害者の苦しみもそういうところにあると思います。理解されてないと言うのは、協働調整によって得られる、安心安全がないということだと考えます。

特に、他者にsubmitしてしまう(自動的・反応的に、明け渡し、ひれ伏し、へり下りしてしまう)被害者、ゆき花自身のトラウマ的な反応です。

何をされたかではない、どのように傷付いているか、トラウマを負っているか、が問題なのです。

暴力的・攻撃的にしろ、自分の為の協働調整の為に、他者と繋がれる人は、「繋がろう」と出来ている状態です。エネジーバンパイアでも、DVでも、BPDでも、発達障害系でも、誰かを標的にしながらでも「繋がろう」と出来るなら、そこまで深刻な問題ではないと思います。

EMDR学会サイトで、岩井圭吾さんが「PTSD症状自体が問題ではない、孤立無援状態で、自分から人と関われなくなるのが問題だ」と書いていた、そのことだと思います。

PTSD症状の【その結末が問題】、のように。自分、このギリギリ状態にいます。

J.ハーマンが回復は繋がりの回復、と言っているのと、瑜伽(ヨガ)の原義が「繋がり」であるのと(その教えをざっくり言えば、例えば般若心経や観音経世尊偈など、よく読まれているモノ)、偶然にしても、すごいと思いました。

瑜伽(ヨガ)は、とても意味深いです。

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hanaさんは「繋がりが回復」をどう考えますか?

性被害者の回復と回復過程を、当事者として確かなものにしてゆきたいです。

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