b2.ゆき花の白い雪道

sn.b2.公助の侵襲⑥クモ膜下で助かった母の命を踏み躙る介護支援員と、性被害を相談出来ない「公」の危険さⅱ専門性はない

site up 20190915日

思い出して書くのは辛いし、被害の再体験にも通じますが、それでも、サイトアップしておきたく思います。自助、自費で保険適応外でどんなに頑張っても、共助、特に、公助が命を踏み躙る、その被害経験から、記しました。

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■4.私の性暴力被害を、信頼して話したことが間違っていたのか?と、裏切られたように思う。

i日赤で、地域包括支援センターのm森に、何となく聞かれるままに話したのが、不安を煽ることを言われた。

嫌だったけれど、介護認定のことだけだったし、地域包括支援センターの人達とは、こちらが(仮に)介護サービス利用するまで=明和病院退院後までしばらく接しないと思っていた。

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不安を煽ることとは、生活保護とか精神障害者手帳だとか、そういう話しをされたことだった。

そうなりたくないから、精神科医療被害で、最悪のトラウマを負わされて、どこにも専門治療を求められなくて、せめて、自分の出来るところで(大学院で学ぶことで)社会と繋がり、自分の出来るところで、自分の問題(性と死のトラウマ)を解決しようと、大阪の女性問題を専門に扱う、臨床心理士のカウンセリングに行ったり、大学院でのテーマ目標にしたりしている。

それを、このような不躾で、医療倫理の一般教養さえも、微塵もなく、無知無神経で侵襲的な支援者に踏みにじられる。命を踏み躙られるそのものだ。

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ずっと長野、東京にいられれば良かったけれど、性暴力についての理解が行政・医療の間でも、一般的に、まだ不十分な中で、体もしんどく

(トラウマが体に影響している症状であることを、理解している治療者自体が、日本では先駆けた一部の人達で、三重県内にも、その専門の治療法が出来る人自体がいない)、

信仰にすがるしかない気持ちで、母と四国遍路、高野山を経て、自分の信仰とその学び(文学、古事記、岩戸開き)を拠りどころとして、伊勢まで来た。

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伊勢が、気候も人も、住み良いところという安心もあり、それまで、医療・行政などに散々傷付いて裏切られてきたけれど、自助グループなどで得た情報を下に、また、探して向かい合おうと思った。

誰も話せる人がいない中で、母だけが話せる相手で、ずっと支えてきてくれたが、それも、大変なことだった。

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④今の大阪のカウンセリングに通って、トラウマが、心だけでなく体(神経・自律神経系、内分泌系、免疫系など)に影響することとその視点からの回復ケアによって、

父もトラウマを理解し、今まで、(トラウマを心の問題としか考えていなかった)父とは話せなくなっていたけれど、説明出来るようになって、お互いがトラウマの理解と回復の方向性を、共有出来るようになって、やっと話せるようになった。

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⑤私が20代後半の時、信州大学医学部での勉強会(地元の医療者、宗教者、事件被害者などが集まった)を通して、幼少期の性犯罪被害に気付いた時、自分自身でも信じられなくて「私は自分で自分が信じられないのに、お母さんはどうして信じるの?」と母に聞いたら、「でも、○○ちゃんが話して、ほっとしている様子だから、本当だと思う」母はそう言った(母自身も驚いていたけれど)。

その会話の後すぐの食事から、私はずっと摂食障害があったのですが、自分に健康的な食べる感覚があった(回復された、よみがえった)ことに、気付いた。

でも、その頃のほとんどの医療者(医師、看護師、保健師)からは、「大人が子供に性暴力なんてあり得ない」「あなたが悪いから」「お母さんが悪かったから」と、二次被害対応をされた。伊勢・m病院は、今も変わらないか、もっと酷いのだと思う。

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⑥母には(父にも)「どうして守ってくれなかった?気付いてくれなかった?」という、とても悔しい思いもあるけれど、こういう母だから、人間としての尊厳を守りながら生きてこられたと思っている。

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⑦神経系の調整には、理解してくれたり、分かちあってくれたり、共感・共有してくれる存在がとても大切な中で、私には母が、とても大事な存在です。4歳の連れ去りの性暴力から守ってくれなかった母ではありますが、一番、大事な理解者である。


支援センターの職員が言うように、母の子離れ、私の自立と言って、母と私を引き離そうとされたら、私達が、一番、自然に出来たらと望んでいることを、何も知らない他者に無理矢理されたら、私も母も父も、周囲の者も、心身共にダメージが大きい。

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